しかしここでは solfatio / solmisation における雑多な情報を羅列していこうと思うのだが、この2つの単語を使い分けようとすると、文章を書く作業がとんでもなく煩雑になる。そこで基本的にはソルミゼーションに統一して記述して、必要があれば分けて書こうと思う。
まず、ソルミゼーションに関して調べるとまず確実に出てくるのが Guido d'Arezzo という人物だ。11世紀の初めに活躍した人で、ソルミゼーションを発明した人とも言われる。実際彼はutから始まる旋律、reから始まる旋律、miから始まる旋律・・・を組み合わせて1つの聖歌を作り、ut, re, mi, fa, sol, la のヘクサコードを提示して見せた。当然、それだけの音では1オクターブすら歌えないわけだから、何かしらの方法で読み替え、つまり mutatione を行っていただろう。
だが、彼の生きた時代が11世紀であることを忘れてはならない。現代のように、まさにこのブログのように、私がどこかの一室で小さなノートパソコンの画面に書き連ねた文章が、明日には寸分たがわず全世界に広まるというようなことはない。彼が発明したこの方法も、そもそもその時点では未完成なものであったろうし、それがヨーロッパ全域に伝播し実際に使用されるに至るまでには、それ相応の時間が掛かったことだろう。また技法そのものが伝播の途中で変容してしまう可能性も低くない。
ソルミゼーションの土台となる3つのヘクサコードは C, F, G から始まるヘクサコードだが、どうやらこの3つの中で F から始まるものは C, G から始まるものに比べてヘクサコードとして定着した時期が遅いと見られている。
また、Mutationeに関しても、その最初の記述が見られるのは Guido が活躍した時代から100年後の12世紀初頭である(Johannes Afflighemensis: De musica cum tonario)。恐らくこの100年でヘクサコードに基づくソルミゼーションという技法の伝播がある程度の広がりをもって完了したのだろう。であるならば特に11世紀の音楽、例えばトゥルバドゥールの音楽を取り扱うときなどには、それにヘクサコード基づくソルミゼーションを適応すべきか否かの判断が求められる。
現在よく知られているソルミゼーションのルールである‘fa super la' つまりヘクサコードの最高音である la の上に半音をおいてそれを fa と読むというルールも、これもまだ14世紀の段階ではルールとして確定したものではなかった。むしろこれはイレギュラーな扱いで、Licenciaという形で許容されているに過ぎず、C のヘクサコードを例にすれば B♭を使いたければその前にMutationeするのが本来の方法であると述べられている(Quatuor principalia, 14世紀)。
また同じく14世紀にはヘクサコードの最低音を半音化することも許容されており、これについてもやはり Quatuor principalia に記述がある。著者は「最近の(つまり14世紀の中ごろの)歌手たちはなっちょらん。sol-fa-sol だったり re-do-re という音型を全音ではなく半音で歌っている」と苦言を呈している。
これと似たケースは14世紀始めに著された Jacques de Liege の Speculum musicae にも見られ、「2人の歌手が同時に片方が la-la-la-sol、もう片方が la-fa-fa-sol と歌う場合に下行するほうはmusica falsaを作らないのだろうか?この歌い手(下行)するほうは長3度ではなく短3度を作るべきだ。そのほうが耳に心地がよい。(つまり la(A)-la(A)-la(A)-sol(G) / la(A)-fa(F♯)-fa(F♯)-sol(G))」と述べられている。また同書では re(D)-re(D)-ut(C) / re(D)-fa(F♯)-sol(G) という例も示されている。つまりシラブルを変更せずに半音の変化をさせることができるということである。
これらの記述は中世音楽、特に Ars Nova(アルス・ノーヴァ)の音楽を扱う人間にとって非常に重要だ。なぜならこれで以前から指摘している中世末期の音楽における「大胆な」 musica ficta の使用と solfatio の実践レベルでの整合性が取れるからだ。
すなわち、14世紀の段階ではソルミゼーションのシラブルはソルミゼーション組織の内部の音、移動ド的な用語に当てはめれば「階名」としての役割と、シャープがついた何々の音、という単純な音高を表す「音名」として役割を両方担い得たということを示唆するからである。当時の人々が sol-fa-sol と歌いながら G-F♯-G を歌うとき、彼らはつまり sol- fa♯-sol と歌っているのである。この fa はヘクサコードにおいて特定の位置を占める fa ではなく、単純に sol より1全音低い音高としての fa であり、それにシャープをつけている。
Mutationeの位置が固定されるのも15世紀 Gaffurius や Anonymus11 の時代になってからで、これは既に他の記事で Lucidarium を例に出したが、中世音楽においては Mutatione する箇所は定められておらず、複数のシラブルを持つ音の上ならばどこで Mutatione してもよい。中世からルネサンスにかけてアンサンブルの主体が3声体から4声体に移り変わるにつれて、各声部の音域が縮小し結果的に最も効率の良い Mutatione の位置というのが自然と定まっていき、時間と共に逆にそれがルール化していったのではないか思う。
また、同じ題材についても同時代人の間で意見が食い違うことがあり、例えばJacques de Liege は F のヘクサコードと G のヘクサコード間の Mutatione を特殊な例として扱っているのだが、当時の他の理論家たちはこの Mutatione を通常の Mutatione と同様に扱っている(Lucidariumもその一例)。
既に述べたように中世において既に通常のヘクサコード組織の外に踏み出していくような臨時記号的な半音が用いられていたわけだが、これをヘクサコード組織に取り込む努力もなされている。つまり、このような通常の3つのヘクサコードに含まれない半音を含んだ新たなヘクサコードを加えていくという作業である。この考え方は既に12世紀に Theinred of Dover が言及しているし、14世紀の Petrus frater dictus Palma ociosa もそれに習っている。Jacques de Liege は Petrus の意見に反対している。
ここからも中世において統一されたソルミゼーションというのは確立されておらず、未だ議論の余地を残した題材であったことが伺える。
またこの新しいヘクサコードの導入が solmization という名称の理論的土台であるという指摘もある。
つまりそれまで solfatio と呼ばれていた中世のソルミゼーションが、例えば既に見たように sol(g)-fa(f♯)-sol(g) と歌っていたところを、sol(g)-mi(f♯)-sol(g) と歌えるように D の上に新しいヘクサコードを設定するわけである。この新たなヘクサコードへのmutatione がルネサンスに入りルール化し、それが sol-fa-tio から sol-mi-sation への呼称の変化を引き起こしたという指摘である。興味深い。
つまりそれまで solfatio と呼ばれていた中世のソルミゼーションが、例えば既に見たように sol(g)-fa(f♯)-sol(g) と歌っていたところを、sol(g)-mi(f♯)-sol(g) と歌えるように D の上に新しいヘクサコードを設定するわけである。この新たなヘクサコードへのmutatione がルネサンスに入りルール化し、それが sol-fa-tio から sol-mi-sation への呼称の変化を引き起こしたという指摘である。興味深い。
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ここまで見てきたように、中世末期の1時期を取り出しても既にそこに論争があるわけで、ソルミゼーションは同時代人の間でも議論の対象だったのが実態だ。
ルネサンス以降は情報伝達技術の向上もあって、中世に比べて飛躍的にルールとしての統一が進むが、ヘクサコード組織そのものは中世起源であるという前提、音楽家が共有していた伝統的な技法であるという共通認識は保ちつつ、しかしそれをそれぞれの時代の音楽の求めるところに従って常に変容させて、または変容させざるを得なかった、というところではなかろうか。
ルネサンス以降は情報伝達技術の向上もあって、中世に比べて飛躍的にルールとしての統一が進むが、ヘクサコード組織そのものは中世起源であるという前提、音楽家が共有していた伝統的な技法であるという共通認識は保ちつつ、しかしそれをそれぞれの時代の音楽の求めるところに従って常に変容させて、または変容させざるを得なかった、というところではなかろうか。
つまり現代の我々がソルミゼーションを実際の演奏や練習に用いる際は、どういったソルミゼーションがその楽曲に即しているのか、といった面を考察し選択する必要があるといえそうだ。
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とりあえず、これで心置きなく sol(g) - fa(f♯) - sol(g) って歌えますね(笑
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