2014/11/09

思い出話

以前大学で好意を寄せていた年上の女性に電話番号をもらったときに、その方は東京の人だったのだけど、電話番号の最初の03を付けずに渡された。自分の電話番号を渡すときは必ず頭に埼玉の04を付ける習慣がついていた私は、ああこの人とは住む世界が違うのねと思い諦めたのだった。

特に東京に遊びに行きたいとかそういうタイプじゃないので、驚くほど東京の地理が分からない。何々通りって言われてもさっぱりだし、何々区といわれても配置が全然ピンとこない。大学に通っていたときは上野とリコーダー製作家さまの工房とルーテルのある新大久保、タワレコが駅の東南口の目の前にあった新宿、それと近江楽堂のある初台、ギタルラのある目白、後はギンレイホール、それ以外は全くといっていいほど出向かなかった。それも駅と目的地の間しか分からないという有様で、毎日乗り換えをする池袋で大抵の用事は済ませてしまっていた。



大学のとき写真に嵌った時期があった。露出計のいかれた完全アナログの古い一眼レフをぶら下げて写真を撮って回っていた。それもフィルムと現像代が嵩んでCDを買う余裕がなくなるという理由で結局辞めてしまったが。

ある土曜に、確か5月か6月、ものすごく天気がよくて暑くもなく寒くも無いが、半袖だったから多分夏の前、そういえばもう2年以上毎日東京に行っているのに東京の地理を何も知らないなと思い、やはり地理を頭に入れるには歩くのが一番と結論付け、恵比寿から山手線の内側を横断してやろうと思いついた。といっても地理が頭に入っていないのだから、道に迷うだろうと思い、方位磁針を持っていった。
人生で本当に方位磁針を頼りに行動したのは後にも先にもそれっきりだ。

とりあえず恵比寿まで行って、そこから東の方角に向かって歩く。真っ直ぐ歩いているつもりなのだが、道なりに次第に進む方角がずれていくので適当に角を曲がって進む方角を修正していく。大通りは一切通らずに細い道だけを使って歩いた。どこをどう行ったのか、今となってはほとんど思い出せない。何週間か前に「王様のブランチ」で「シロガネーゼ特集」をしていたのをみていて、そのおかげで白金を通ったのは覚えている。たっかそうな2階建てのカフェがあった。

結局新橋まで歩いて山手線に乗ったのは覚えている。多分そのあと日暮里で降りて、当時同じ科の中で大人気だったうどんを食べに行ったような気がする。

それまで東京ってもうちょっと平べったい土地なのかと思っていたのだけど、実は坂がたくさんあった。特にものすごく長い下り坂があったのだけど、一体恵比寿の近くだったのか、新橋あたりだったのか、それとも白金のあたりだったのか全く思い出せない。
ただ、周りに高層ビルもなくだだっ広く開けた緑の多い住宅街を坂の上から眺めるのはなんだかとても愉快だった。

いまさら地図を眺めてみると、多分歩いた距離は4kmあるかないか、というところだ。普段なら1時間掛からない距離のはずなのだが、その日は確か昼から歩き始めて新橋に着いたときにはもう日が暮れ始めていたように思う。

手品のネタというのは知ってしまうと、なんだ、というような単純な仕掛けだったりする。この日のことは今でも印象としては随分歩き回った様な気がするのだが、不思議なものだ。ずっしりと重い一眼レフをやはりこの日もぶら下げていたが、なぜがほとんどシャッターは切らなかった。




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