少し前にProsdocimusの1412年の対位法の譜例について少し書きましたが(ココ)、臨時記号、まあここでは musica ficta と呼びましょうか、がかなり頻繁にしかも大胆に使用されているのが分かります。これは1317-8年に書かれたMarchetto da Padova の Lucidariumでも同様です。Prosdocimusの譜例のように長いものはありませんが、Lucidariumにも「次の音程に近くなるようにする」という定理は示されていて、その譜例は半音階や増4度の跳躍を含みます。
このことは中世末期におけるソルミゼーションが、かなりの柔軟性を持って使用されていたことを示しているように思えます。言い換えるとソルミゼーションの中でFictaを寛容に許容していたといえるのではないだろうか。
現代の我々がヘクサコードに基づくソルミゼーションに「新たに」触れるとき、その原理に基づいて「このfictaやそれによって作られる音程はソルミゼーション的にありえない」などの判断をしたくなるのだが、むしろArs Novaの音楽においてはfictaの使用に、より自由な選択肢があり、それに従ってMutationeのほうを合わせていくというベクトルだったのではなかろうか。
1375年に記されたBerkeley写本と呼ばれる理論書(著: Goscalcus?)には disiunctas というものも紹介されている。これは通常のmutationeが可能ではない場所で行われるヘクサコードの移行という意味。そしてこれについてはGoscalcus以外にも13世紀から14世紀の著述家たちが言及しているようだ(The Berkeley Manuscript: University of California Music Library, Ms. 744 (olim Phillipps 4450), P49)。つまりソルミゼーションを使用する側、つまり演奏者側は特に計量音楽においてかなり自由にヘクサコードを設定・移動できたことを示すと同時に、その必要性があったことを示唆している。そしてこれも上述のベクトルに従っているといえる。
8.2.12
G sol re utは3つの音節を持っており、6つのmutationeを持っている。
8.2.13
第1に、丸いb(シ♭)の性質によって上行する際、solがreに変化する。
8.2.14
第2は、その反対。
8.2.15
第3に、四角いb(シ・ナチュラル)の性質によって上行する際、solがutに変化する。
8.2.16
第4は、その反対。
8.2.17
第5に、丸いbが四角いbに変化するのに伴って、reがutに変化する。
8.2.18
第6は、その反対。
第5と第6のルールはそもそも頻繁にシがナチュラルになったりフラットになったりする前提がなければ必要のないルールだし、fictaからmutationeへというベクトルをやはり示しているように見える。
大した違いがないように思えるが、実際にはこのベクトルの違いは大きく演奏現場に影響する。片やfictaの使用はかなり制限されると同時に
1人の演奏者としては個人的に後者の方がずっと魅惑的に思えるわけだが、果たして。
興味は尽きない。
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