では原典である写本のほうに間違いを見つけるということは無いのだろうか。写本は人間の手作業によって作られているわけなので当然、ある。そういう例を見つけたので適当に解説してみる(音源がうまく再生されない場合は少し待つか、それでも再生されない場合はページを更新してください)。
もしかしたらここで分析した箇所には既に同じような考察がなされ論文が発表されていて、それを私が知らないだけかもしれないので、もしご存知の方がいたら是非お知らせくださいませ。
曲名
Espoir dont tu m'as fayt (Phot: Philipoctus de Casertaの略だと思われるが議論の対象): Chantilly564, f.36v (この写本以外にこの曲を収録している写本がないため比較検討ができない)
箇所
40~42小節(Polyphonic Music of the Fourteenth Century, XIX)
現代譜だとこのようになる (39~42小節)
写本の該当箇所
Cantus (第4線Cクレフ) Contratenor (第4線Fクレフ)
Tenor (第4線Fクレフ)
写本の該当箇所と比べると現代譜に誤りが無いことが分かる。
音源
40小節からかなり不可思議なサウンドになっている。その原因となっている要素を列挙する。
- 40小節の1拍目: CantusのミとTenorのファがぶつかっている
- 40小節の2拍目: CantusとTenorが外声2声部で4度 (11度) を作っている
- 40小節の2拍目: CantusとContratenorがファとソでぶつかっている
- 42小節のTenor レ-ドとCantus のド-レがぶつかっている
- 42小節のTenorとCantusの不協和音形成時に同時にTenorとContratenorはシンプルなカデンツを形成している
どの項目もCantusが関連していることが分かる。実際TenorとContratenorの間には対位法的な問題が見当たらない。音源を聞いてみてもただのシンプルな対位法だ。
音源 (TenorとContratenorのみ)
では問題となっているCantusとTenorのみではどうか。
音源
やはり既に列挙したように問題があるようだ。最も深刻な問題は42小節の終止が破損してしまっていることだろう。
14世紀の対位法の土台となるのは基本的にTenorなので、その声部と明らかに噛み合っていないということは、
1. 何らかの特殊な意味合いがあって態々このような対位法が書かれた
2. CantusとTenor2つの声部のどちらかに何らかの問題がある
3. CantusとTenor2つの声部の両方に何らかの問題がある
これらのうちどれかだと考えられる。だが 1 に関しては楽曲全体を見渡しても、また該当箇所の歌詞を見ても特にこのような特殊な対位法を用いる理由が見つからず、またここに書かれている対位法は特殊なという形容詞よりも、明らかに破損しているという形容詞のほうが当てはまるように思う。
また 2 と 3 に関しては既に見たようにTenorとContratenorの間には問題が発生していないため、Cantusに何らかの問題があると考え解決策を探るのが最も効率がよく、加える修正が最小になると考えられる。
というわけで、色々ごちゃごちゃといじり倒した結果(笑)、Cantusを全体的に40小節から42小節まで2度下げてしまうのが最も効率がよい解決策だと思われる。
全体を2度下げることで終止が成立するので42小節のカデンツで二重導音を導き出すことも可能になる。
音源
Cantus - Tenor間の対位法は問題がなくなり、3声としてもきれいにまとまっている。
問題として指摘しえるのは、40小節目のCantusとContratenorのファとミのぶつかりと、41小節のやはりCantusとContratenorのレ-ドとド-レのぶつかりになる。しかし、これらは実のところ中世対位法としては問題ではない。40小節に関してはこの程度の不協和音はこの時代の音楽にはいくらでも発見できるというか、こういった一種のスパイスに中世の対位法は満ち満ちているといっていい。41小節に関しても不協和音を発しているが、CantusとContratenorはそれぞれTenorに対して5度と3度でこれも当時の典型的なCantus - Contratenor間の不協和音程に過ぎない。
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なぜこのような間違いが起こったのか、というお話。
恐らくこれはソルミゼーションが引き起こした間違いだと推論する。
問題の解決策としてCantusを2度下げたわけだが、ソルミゼーション的にはどちらも同じシラブルが当てはまる。
以前の記事(ココ)において指摘したが、14世紀・15世紀初頭までのソルミゼーションにおいては、ut re mi fa sol la のヘクサコードシラブルは移動ド的な「階名」と固定ド的な「音名」の機能の両方を有している。またルネサンス以降はルールとして固定化する fa super la に関してもまだ特殊な扱いで、fa super la の fa に至る前にきちんとMutationeするべきと考えられていた。
となると40小節からのCantusは修正前・修正後どちらも mi - fa - mi で始まることになる。そして直前39小節から40小節の開始音にかけて写本では6度、修正したものでは5度の跳躍をし、しかも休符も挟むため間違いを犯しやすい。且つ又指摘したようにソルミゼーションシラブルが音名としての機能を持っているため、記譜者の頭の中に鳴っていた階名としての mi - fa - mi を音名と混同してそのまま楽譜に書き込んでしまったのだと思われる。
*ソルミゼーションシラブルに ♯ が付いてる、おかしい!とお思いの方は、やはり上にリンクした私の別記事に目を通してくださいませ。
こう考えればなぜこの写本の製作者がこのような間違いを犯したのか、そのプロセスをかなりはっきりと把握できるとともに、逆説的にやはりこの箇所のCantusが間違いであるということを説明できる。
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とまあ、ざっとこんなこともあるよ的なお話でした。「原典」というのはアンタッチャブルな「聖典」ではないということです:)
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