2015/04/25

びふぉーあふたー

すっかりバルセロナも暖かくなってきて、って書こうとしたら今日は何だか肌寒い。曇ってるしね。
まあ全体としては暖かくなってきているのは本当で、日向に出ると普段は熱いくらいです。敢えて間違った感じを使うのはスペインの日差しは暑いというより、熱いという感じなのです。日向と日陰で全然体感気温が変わります。

暖かくなって街路樹も随分こんもりしました。
                                                                                before                                                                   after
 →

夜と昼で分かりにくいって?? 気のせいです。

一昨日はSant Jordiのお祭りでした。男の人が女の人にバラを贈り、女の人は男の人に本を贈ります。以前にもこのお祭りについて書きましたが、「美しいが頭の空っぽな女、美しさなど求めないが頭のいい男」という旧態然とした男女観を絵に描いたようなコンセプトです(笑

でも街中にバラか本、又は両方を売ってる屋台が沢山並んで道行く人々がバラを持って歩いているのはとてもハッピーです:)


これはうちの近所でバルセロナの中心ではないので人が多くないですが、これがバルセロナの中心街になったりすると、身動きできない位の人出になります。屋台の数も半端ではなくずらっと並ぶ感じになるのですが、今年の私は近所をブラブラしておしまいです(笑

2015/04/16

『カルメン』ゲネプロ at リセウ劇場

先日の記事で紹介したフラッシュモブ(ココ)で宣伝していたリセウ劇場の『カルメン』のゲネプロ(本番直前の通し稽古)を見に行ってきました。まあお客さんも沢山入って実質本番と変わらないので試写会みたいなものです。


ランブラス通りはいつもどおり人で一杯です。先日カルメンが歌っていたバルコニーも明るい時間に見ると印象が違いますね。というか前回見に来たときは真っ赤にライトアップされていたので印象が違うのが当たり前というか(笑

今回は現代風の演出でした。まあ実際の公演開始前だから余り詳しいことは書かない方がいいのかしら。カルメンの奔放さとそれを取り巻く下卑た環境を全面に出しているので、とっても退廃的な雰囲気で結構エロいです。正直なところ現代風演出のオペラってちょっと苦手意識があって、今回も「んーちょっと」と思った部分もあるのだけど、結局すごく引き込まれました。

ようは登場人物にとてもよく血が通った演出だったのでした。だから終劇の瞬間は、激情の当然の帰結としてのカルメンの死が現実感を持って観客に叩きつけられるという印象。とてもよかったです。

公演HPはこちら: リセウ大劇場公演『カルメン』 (音出るから気をつけて)


ゲネプロなので関係者用のでかいデスクが設置されています。
ここには映ってないですがオーケストラもみんな私服です。

公演期間中にバルセロナを訪れる予定があるなら、足を運んでみる価値はあると思います:)


2015/04/11

フラッシュモブ at リセウ劇場前

昨日はバルセロナのリセウ劇場(wiki)に行ってきた。
といっても中に入ってオペラを鑑賞したわけではなくて、今月17日から公演が始まる『カルメン』の宣伝を兼ねたフラッシュモブ(wiki)を見に行ってきたわけです。

リセウ劇場はバルセロナの中心街の目抜き通りであるランブラス通りに面していて、普段から観光客も含めてとっても通行人が多いのだけど、カルメンに扮した歌手が劇場のバルコニーから通りに向かって有名なハバネラを歌い始めると、通行人を装っていた合唱メンバーがそれに参加するという趣向。


フラッシュモブ、というものを初めて実際に見ましたが面白いですね。歌っていた人たちは全員実際にオペラで合唱として参加しているメンバーだったのですが、みんな舞台とは違ってリラックスしてるのが伝わってきました。お祭り的な雰囲気。

終わった瞬間に後ろで歌っていた女性が「さ、帰って夕飯つくろっ」と一言。気持ちの切り替え速いです(笑


2015/04/08

中世ルネサンス

バロック、ルネサンス、中世なんて分類があるけれど、個人的に「中世ルネサンス」という古楽関係者の中でもよく使われる時代の括り方は音楽史において適当でないと思っている。というようなことをあれこれと書こうとこの何日か格闘したのだけど、ちょっとギブアップ。

中世からルネサンスへの移行はつまり西洋史全体の時代区分において中世からルネサンスやバロックを含む「近世」への移行であるわけで、西洋において世界の様相がより激しく変化を遂げた時期はルネサンスからバロックよりも中世からルネサンスのほうであるだろう。そして音楽においてもある2つの時代間にある種の線引きを求めるならば、中世とルネサンスの間には、音楽のコンストラクションにおいて中世とルネサンスという意味以上、つまり中世と「それ以降」という隔絶が存在すると考える。そしてそれはルネサンスとバロックの間に存在するものよりもずっと大きい。

しかし如何せんこの手の議論は文章化するときにカバーする範囲が広域になりすぎるし、それに従ってそれぞれのエレメントに関する掘り下げが目に見えて薄く甘くなる。
こういう試みに含む危険性は例えばパノフスキーが『ゴシック建築とスコラ学』の冒頭で指摘している通りだ。

「(時代を「歴史の区別しうる諸部分」と定義するとき、これらの部分はある種の統一性をもたねばならず、それを実証しようとするなら)芸術、文学、哲学、社会的潮流や政治的潮流、宗教運動、等々のような明らかに異種の諸現象の間に内在する類似性の発見を試みなければならない。(中略)誰でも、敢えて<専門領域を超え>ようとする時にはいつでも、どうしても、不完全な、しかもしばしば二次的な情報にたよらざるをえないものである。」*

この危険をまさに自分が犯そうと四苦八苦していると気がついてギブアップしたわけです(笑
でもこうやって昔読んだ本を思い出したり、調べ物をしてまた何か新し知識を得たり、悪いことは何も無いわけです:)

=====

全然話は違うけれど、私みたいにそもそも写真も普段余り撮らないような人でも(あるいは逆にだからこそ)、自身の気分が撮る写真に影響するのかどれも同じようなものになる。といいつつもちょこっと貼ります(笑



*ISBN4-480-08660-9, p.7